観光鍾乳洞へ行こう!

太平洋戦争の一端を窺う洞窟
長野市「松代大本営跡」

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 松代大本営跡

まつしろだいほんえいあと

  長野県長野市

無料大規模通年人工

…戦争の凄惨さを知る文化施設でもあります

松代大本営跡 松代大本営跡

人工窟なので鍾乳石などの自然美は見られませんが、その壮大な規模に驚かされるのがココ。

太平洋戦争末期の東條内閣で閣議決定された一大遷都計画に基づいて、本土決戦に備えた政府機能・皇室の避難場として掘られたものです。
この地が遷都先として選ばれた理由はいくつかありますが、近くに飛行場があり、なおかつ固い岩盤で掘削に適した山があったこと。かつ10t爆弾にも耐え得ることができることが大きな理由でした。
松代の象山/皆神山/舞鶴山の3か所で掘削され、その総延長はなんと10km。
そのうち象山地下壕(ぞうざんちかごう)総延長5.9kmの一部分、約500mが一般向けに公開されているのです。

掘削には延べ60万人の労働力と2億円の費用をつぎ込んだとされ、昭和19年(1944年)11月11日11時11分に最初の発破があってから、突貫でどんどん掘削が進みました。
しかし全ての完成を待たずに翌年8月に進捗率75%の段階で終戦を迎え、実際に大本営として使用されることはありませんでした。

工事は延べで朝鮮人労務者25万4000人を含む61万600人が従事しました。
なお労働者の日本人(勤労奉仕隊)は無償、日本国籍の朝鮮人は賃金が与えられ、特に朝鮮人の掘削労働者には戦争末期の貧相な食糧事情にも拘らず、1日あたり白米7合、朝鮮人資材運搬労働者には白米3合が配給されました。さらに麦やトウモロコシなども配布されるほどの厚遇を受けられたのですが、それゆえに労働環境は苛酷で、正確な数字は判らないものの100~200名という多くの死者を出しています。

松代大本営跡洞内図
  DATA
 住所 長野県長野市松代町西条字表組479-13
 TEL 026-278-7746
 時間 9時~15時半受付
 休み 第3火曜、12/29~1/3、
(※点検等による臨時休壕あり)
 料金 無料
 特記  

画像引用:財団法人ながの観光コンベンションビューロー様 (http://www.nagano-cvb.or.jp)、Wikipedia/baku13様(http://ur0.work/pxt0)